- ヒューム論(アンドレクレソン共著)(1952):短編のヒュームのアンソロジー。
- 「ヒュームあるいは人間的自然」(1953):ドゥルーズの修士論文。「人間的自然は連合によって自己を超出することによって生じ、人間的主体は結果的に形成される」。
- 「本能と制度」(1955):「本能を法が制限し制度が肯定する」という持論。教科書として編まれた。
- 「ベルグソン−記憶と生」(1957):ベルグソンの優れた抜粋による要約のアンソロジー。
- 「差異について」(1956):「自己差異化するものが実体である。」
- 「ニーチェと哲学」(1962):ニーチェから「生成」と「生成の肯定」を引出し、生成を実体とみなす。
- 「カントの批判哲学」(1963):カント判断力批判より、認識の発生の糸口を探りだす。
- 「プルーストとシーニュ」(1964):初版期にはナイーブなロマンティックな内容だったが「マシニズム」以降に後から二回の改訂を施される。
- 「ニーチェ」(1965):ドゥルーズによるニーチェ解説のアンソロジー。
- 「ベルグソンの哲学」(1966):宇宙全体が潜在的な多様体として唯一の持続であるとの半ば神秘主義的であるベルグソンの隠れたテーマを探り当てる。
- 「マゾッホとサド」(1967):フロイトにおけるサディズム=マゾヒズム類型が、元の文芸を参照しながら、本性上異なる作用機序によって実現することを述べる。
- 「差異と反復」(1968):20世紀最大とも思われる現代における哲学的ディシプリン。多岐にわたる論旨の現代的総合であって綿密に読まれて良い書。
ヒュームの経験論から発して「親密な敵」であるカント主義のラディカルな批判により、生得的なアプリオリを共通感覚の神話とし、経験を通じて認識が超越論的に発生する機序を論じる。
- スピノザと表現の問題」(1968):前著国家博士論文の副論文。存在の一義性に関して実在的区分と数的区分他「哲学のキリスト」とスピノザを呼んではばからなかった立場で書かれた。
- 「意味の論理学」(1969):フッサール現象学を意識し、「今や問題は本質から意味へと変わってしまったのだ」と判決する。構造・セリー等のドゥルーズ独自の意味の発生論が論じられる。このころガタリがドゥルーズに関心を持ち始める。
- 「スピノザ実践の哲学」(1972):歪んだり悲しみの受動感情にとらわれた自己を死の本能とは別の仕方で「自己破壊すること」が人生には必要だ、と述べる。
- 「アンチ・オイディプス」(1972):パリ五月革命の時代の余韻のもとに性急に書かれた感がある本。現代の桎梏とは疎外論ではなく「ダブルバンド」であるということを主軸にしている。現存するエディプス・コンプレックスのディスクルスに当てはまらない社会野に直接備給されている欲望を肯定しようとする。
- 「カフカ」(1975):マシニズムの観点(リゾーム)から論じられたカフカの文芸論。
- 「ドゥルーズの思想」(1977):クレーヌ・パルレとの共著。
- 「政治と精神分析」(1977):ドゥルーズ・ガタリの分裂者分析について。
- 「重合」(1979):役者が役者であることをやめ、演劇が表象であることをやめ、権力の重力場から離れると異型の変身をするという「カルメロ・ベーネ」について論じた演劇論。
- 「ミル・プラトー」(1980):DGの熟考に基づく成果。A・Oと異なり自前の概念装置の創案により、マルクスでもフロイトによるのでもない、基礎原理を完成している。
- 「フランシスコ・ベーコン」(1981):ドゥルーズの絵画論。イデー・フィギュール・フォルムといった概念を用いて、器官なき身体論などが論じられる。
- 「シネマ1(1983)2(1985)」:ヘーゲルが概念上の運動を示したのに対して、ベルグソン流儀でイマージュとしての直接な運動イマージュをCINEMA1で述べ、潜在的なものとアクチュアルなものの共存・融合における、全体の質の変化による「持続」の時間の直接提示についてCINEMA2において述べる。
- 「フーコー」(1986):オーディオ・ヴィジュアルと前著で述べた事柄をフーコーによる「可視的なもの」「言表可能なもの」という二元論に引き付けて論じた見事な「本歌取りである」。ポストモダンにとって重要な書である。
- 「ライプニッツとバロック」(1988):今まで触れられなかった、たとえば「身体論」等に言及している。実在的区分について、重要な補足が加えられている。「実在的に区別されるものは必ずしも分離されないし」「分離不可能なものが実在的に区分されることがある」(p77)
- 「記号と事件」(1990):ガタリとの共同歩調以来のドゥルーズのインタヴュー集。自己解説があるので役に立つ。
- 「哲学とは何か」(1991):哲学とは「概念を」用いてする仕事であると宣言し、科学や芸術との関係において述べる。
- 「消尽したもの」(1992):日常の煩瑣な言語とは別種の言語として「消尽したもの」の言語を考え、あらゆる欲求、選択、目的、意味の放棄の果てに、自分がイマージュを生み出したのだった、というということに結果的に気付くことになるのだと述べる。
- 「批評と臨床」(1993):臨床的であることはニーチェ流には徴候として読むことであるというドゥルーズが<文学論>の中に持論を含ませた書物である。
- 「無人島」(2002)及び「狂人の二つの体制」(2003):ドゥルーズ没後に編纂された雑誌論文集等の集成である。自著についての解説がなされているので専門にやるなら必ず必要です。
☆ドゥルーズについて生前からガタリと切り離すべきだ、ということを言う意見はあった。「差異と反復」の堂々たる業績を重く見るからだろう。のちにはドゥルーズとガタリの間で仲たがいもあったようだし、それでもガタリとの出会いは「偶然なものではなかった」とドゥルーズは言っている。それゆえ、ガタリとの共著についても列挙してある。「資本主義と分裂症」の取扱いは未だ検討の余地あるものとして課題となろう。これについてはまた別稿を要する。
☆マルクス主義がどんなものかわからないが、欲望論であるA・Oで革命的であるということは「欲望の定立」のことである。ただにそれが既存の価値から独立していること、によるのであり、経済学的に恐慌が必然であるというようなこととは、全く関係がない。
さらに、ミル・プラトーに関してはマルクスへの引用より、フーコーへの引用が多くなり、「人間の誕生」を大旨カント主義成立の時期からと見る長い持続を、歴史的な沈殿即ち「道徳の地質学」として考える。こうした現実の存立性に関してのより良く生きるためのアドバイスに過ぎない。
旧態依然たる左翼の理論的フレームワークとは全く違っていることにおいてポスト・モダンとしての真価がある。
☆"d'Adnen Jdey"の本の中で、「千の高原」を書いたドゥルーズは教え子にあてた手紙で、「誰かの弟子になろうとする者は見てきているが、その人物は指導者となる才能を確かにもっているだろうが弟子を<条理化>することになる。それは恐るべきことなんだ。」と言っている。自分の仕事をしろ、と書いている、この辺を考えに入れて、ドゥルーズの良いところをうまく学んでみてください。
2013.6.26.